本論は,国民国家の担い手育成を打ち出しているシンガポールのナショナル・エデュケーションをとりあげ,そのねらいが同国の初等社会科カリキュラムの構成枠にどのように影響を及ぼしているのかを明らかにしようとするものである.
こうした目的の根底には,わが国の社会科カリキュラムは大きく組み替えられなければ,シチズンシップエデュケーションとして不十分なのではないかという問題意識がある.これは,次のような社会諸事象に対する危惧と不安に由来する.すなわち,社会的紐帯や結合の脆弱化,公共意識や秩序感覚の減耗そしてそれに反比例するかのような私的意識の肥大化の蔓延である.
しかしそれだけではない.“社会科は国家の担い手意識と担い手に必要な諸知識や諸技能を十分に育成していないのではないか.しかも他教科は言うに及ばず特別活動や道徳といった領域にもそうした契機が欠落しているのではないか”という問題意識にも因る.こうしたことに対処していかなければ,この国の行く末は危ういのではないかという思いが本論を通底しているのである.
シンガポールはいわゆる多文化・多民族国家であり,PAP政府はシンガポーリアンという国民を意図的に形成しようとして来た.ナショナル・エデュケーションはシンガポールのそうした国民・国家統合のための最新の教育政策であり,社会科はその中核教科の一つとして初等及び中等教育カリキュラムに位置づけられている.
このようなナショナル・エデュケーション下のシンガポール社会科のカリキュラム構成を国民・国家形成という視点から分析しその特性を明らかにすることによって,後日,わが国の社会科カリキュラムの在り方を再考するときの手がかりにしたいというのが,本論の根本にあるねらいである.
本論を以下,次のように構成する.
\nI はじめに II NEについて III 初等社会科カリキュラムとNE IV おわりに
\n本稿は上記のうちのI章とII章である.III章とIV章は,次の機会に発表したい.