@article{oai:bunkyo.repo.nii.ac.jp:00001023, author = {王, 順隆}, issue = {2}, journal = {文学部紀要, Bulletin of the Faculty of Language and Literature}, month = {1999-03-01, 2011-02-14}, note = {1895年に、台湾は日本の植民地下に置かれた。台湾総督府は同化政策を遂行するために台湾人学童の「漢文」教育に目をつけた。教科書の制定、授業時間の削減、民間書房の撤廃など、漸進的に厳しい制限を加え、最終的に「漢文」教育を完全に廃止した。 なぜ「漢文」教育が狙われたか。台湾総督府は「漢文」の学習は台湾人の民族意識を維持し、日本語普及を阻害するものであり、台湾人を皇民化するのに好ましくないと考えた。 本稿は当時「台湾人の言論を代表する唯一の新聞」と評価されていた《台湾民報》(のち《台湾新民報》に改名)に掲載された社説、評論、記事、投書などを中心に、台湾人の「漢文」教育に対する思いやこだわりを分析し、「漢文」教育こそ台湾史上初めて意識的に実施された母語教育であったことを立証する。}, pages = {47--62}, title = {日治時期台灣漢文教育的時代意義}, volume = {12}, year = {} }