@article{oai:bunkyo.repo.nii.ac.jp:00001033, author = {Hatta, Yoko}, issue = {1}, journal = {文学部紀要, Bulletin of the Faculty of Language and Literature}, month = {1998-10-01, 2011-02-14}, note = {シカゴ万国博は、コロンブスのアメリカ大陸発見400周年を記念して1893年、シカゴで開催された。当時米国は、西欧諸国に対する文化的劣等意識からの脱却を、また、第二次産業革命を経て、世界のリーダーとして西欧諸国から認められることを切望していた。その意味で、シカゴ万博は米国にとって願ってもない好機であった。 一方、新生国民国家としての日本は、富国強兵のスローガンのもと、急激な近代化を押し進めていた。しかし、西欧諸国に誇れる工業製品に乏しく、唯一誇れるものは、ジャポニズムとして欧米で受け入れられていた日本の美術品であった。国民国家として一応の体制が整い、美術品の力を確信していた明治政府にとってシカゴ万博は、先進文明国の仲間入りをする格好の場であった。 シカゴ万博会場は、欧米先進国のパビリオンが立ち並ぶホワイトシティーと、野蛮国の人、物が展示されるミッドウエイプレザンスから成り立っていた。脱亜を目論み、欧米に認められることを渇望する日本は、その文化の特質性を際立たせるため、ホワイトシティーとミッドウェイプレザンスの中間に位置する島、ウッデイドアイランドにパビリオン建設を強く求め、米国はこれを認めた。 この事実が象徴するように、19世紀末の国際秩序の中で"半文明"と称される日本は、"半文明"を脱し、文明国の一員となるためにも、シカゴ万博で最高の展示をする必要があった。本稿は、シカゴ万博の本質と日本のアプローチを通して、日本近代化の姿をシカゴ万博の中に探ってみようとするものである。}, pages = {35--79}, title = {The Japanese Position in the Chicago World's Columbian Exposition of 1893}, volume = {12}, year = {} }