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  1. 紀要類
  2. 教育学部紀要
  3. 第58集

松田正己による新たな水戸金工の創造

https://doi.org/10.15034/0002002318
https://doi.org/10.15034/0002002318
fb76eb51-0747-4962-aa24-77dbaaa0fefe
名前 / ファイル ライセンス アクション
BKK0004551.pdf BKK0004551.pdf (6.1 MB)
Item type 文教大学学術リポジトリ登録用アイテムタイプ(1)
公開日 2025-03-12
タイトル
タイトル 松田正己による新たな水戸金工の創造
タイトル
タイトル A Study on the Creation of New Mito Metalwork by Masami MATSUDA
作成者 石黑, 美男

× 石黑, 美男

WEKO 234
NRID 80784199

ja 石黑, 美男
ISNI 文教大学

ja-Kana イシグロ, ヨシオ

en Ishiguro, Yoshio
Bunkyo University


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主題
主題 松田正己, 鍛金, 水戸金工, 三井安蘇夫, 山下恒雄
内容記述
内容記述タイプ Abstract
内容記述 水戸は,初代藩主・徳川頼房(1603〔慶長8〕年~1661〔寛文1〕年)及び2代・光圀(1628〔寛永5〕年~1700〔元禄13〕年)の治世に「水戸彫」と称する刀装金工が創始され,江戸時代後期に隆盛を極めた.明治になり,廃藩置県(1871〔明治4〕年),散髪脱刀令(同年),廃刀令(1876〔明治9〕年)等の公布により,多くの金工師が武士の庇護を失い,苦境に立たされる中,上京した海野一族が中心となり,昭和後期までその伝統を守り続けた.彼等は,東京を活動の拠点としながら,所縁ある水戸金工の発展に尽力したが,一方で,松田正己(1939〔昭和14〕年~)は,東京から水戸に移住し,鍛金を中心とした創作活動を展開すると共に,茨城大学において学生の指導に当たった.
 本研究では,作品や諸記録を通して,松田の金工作家,教育者としての業績を探ることを目的とした.具体的には,まず,彼の足跡を詳らかにするために,年譜を作成した.次に,彼が金工家を目指す契機となった大学・大学院時代に焦点を当て,彼に大きな影響を与えた2人の師について紹介した.続いて,松田の表現の特色について分析した.さらに,茨城県におけるさまざまな活動を調査し,彼の芸術振興の取り組みを明らかにした.加えて,彼が大学で担当した科目の授業概要をまとめ,指導者としての側面に迫った.
 松田は,水戸彫の流れを汲む先達との交流を深めながら,現代における金属工芸の可能性を切り拓くと共に,多数の後進を育成したことから,新たな水戸金工の創造者といえる.
出版者
出版者 文教大学
言語
言語 jpn
資源タイプ
資源タイプ departmental bulletin paper
出版タイプ
出版タイプ VoR
ID登録
ID登録 10.15034/0002002318
ID登録タイプ JaLC
収録物識別子
収録物識別子タイプ PISSN
収録物識別子 03882144
書誌情報 ja : 教育学部紀要
en : Annual Report of The Faculty of Education Bunkyo University

巻 58, p. 77-91, ページ数 15, 発行日 2024-12-24
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Ver.1 2025-03-12 08:13:32.842033
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