@article{oai:bunkyo.repo.nii.ac.jp:00003742, author = {小坂, 勝昭}, issue = {2}, journal = {文教大学国際学部紀要, Journal of the Faculty of International Studies Bunkyo University}, month = {1999-02-01, 2011-02-24}, note = {The purpose of this paper is to point out the necessity of introducing J. Rawls's contractarian paradigm in considering the theme of Social Welfare and Justice Principles. In the perspective of western moral and political philosophy, Rawls's theory of justice is one of the most comprehensive and cumulative efforts.  Rawls has developed an alternative to the utilitarian approach based on a concept of justice as fairness, not social utility. According to Rawls, the fairness of social institutions could be established by the hypothetical fact that such institutional arrangements are the outcome of rational choice by all individuals in society under conditions of the veil of ignorance. In the original position, no one knows or may consider whether he is rich or poor, black or white, male or female, young or old, or the other characteristics of his own circumstances under the veil of ignorance. Rational actors in the original positions of choice do have knowledge of primary goods, which Rawls defines as goods that any rational human being would want to have for the pursuit of any plan of life. And these goods are to be distributed equally unless an unequall distribution of any, or all, of these values is to every ones advantage. For pursuing the justice standards for the welfare society, we need to adopt the ideas of Difference Principle. \n 人間の「幸福」(well-being)とか「生き方」をめぐり、また望ましい「福祉のあり方」について私たちはどのような提案ができるだろうか。今日、現代の先進資本主義国が共通に抱える課題はあまりに多い。とくに社会制度の根幹にかかわる「民主主義」の運営方法や制度的理念をめぐり、また望ましい「市民社会」の存立条件とは何かをめぐって、規範的な社会秩序を模索する試みが政治学、倫理学の研究者から提案されてきた。  さらに、経済的自由主義に基づく市場原理の信頼性が危機に瀕しており、ビジネス倫理が厳しく問われている。企業の犯罪的行為に典型的にみられる反倫理的行動は私たちの正義感覚からはほど遠いものに思われるが、実は私たちの日常生活においても、際限のない欲望にねざす社会問題や逸脱行動が毎日のように紙面を賑わせている。  こうした多様で困難な問題に対して、どのような解決策を見いだすことができるだろうか。市場の制度的側面、および国家と民主主義制度を視野におさめた政治経済学の新たな分析アプローチが注目される。また、人間の連帯とコミュニタリアニズム=共同性の復活こそ秩序維持と正義に最も必要と説く倫理学的ディスコースが政治学および倫理学の領域から現れた。社会学の領域でも、こうした危機状況を克服する試みがこれまでに幾つか現れた。例えば、社会学者D.J.フイリップスは『公正な社会秩序をめざして』(1986)の中で「道徳と権利」をめぐる規範的社会理論を提示し、R.ベラーとその仲間たちの共著『心の習慣』(1985)では、「倫理的個人主義」の構想が提案された。また社会学者A.アラートと政治学者J.L.コーエンの共著『市民社会と政治理論』(1994)では東欧社会の民主化に範を求め、「市民社会のディスコース」の考察を下敷きに「市民社会の再構築」のための理論的検討がなされた。そこではハバーマス、ロールズ、アーレントなどの現代の思想家の解読作業が試みられた。そして、危機の時代を反映するこれらの試みが民主主義と人権についての、新たな「道徳社会学の復権」につながる可能性を否定できない。これらの著作がJ.ロールズの『正義論』(1971)や、ハバーマスの規範的、道徳的ディスコース=討議倫理学の提起した問題意識の延長線上にあることは疑いのない事実である。  ロールズは現代のアメリカ社会について透徹した洞察を試みるとともに、今後の市民社会の方向性についても政治的リベラリズムの立場から「格差原理」、および「重合的コンセンサス」という政治的構想を提案してきた。ロールズの『正義論』の今日的意義はアカデミズムの世界に人間の平等とか、正義、公正といった倫理学的、規範的問題を市民社会の「言説倫理」(discourse ethics)として提案してきたことである。本稿もこうした潮流に関わる仕事といえる。ここではロールズの規範的社会理論を手掛かりとして福祉社会の「倫理学的、正義論的基礎」を明らかにしたい。以下の諸章ではロールズが『正義論』で提示してきた正義構想を手掛かりに福祉と正義の関わりについて若干の分析を試みる。}, pages = {67--78}, title = {福祉社会の正義論的基礎 : ロールズの政治哲学の射程}, volume = {9}, year = {} }